脱「退屈な暗記科目」! 世界史を生き生きと「イメージ」するために、映画を活用してみませんか

ウィーン会議

世界史で受験することに決めたなら、過剰にひるまず、準備は早めに

前回のコラムでも少し述べましたが、「世界史」というと、どうしても、「やたらと広い分野」、「膨大な固有名詞や年号の暗記」といった壁が立ちふさがっているように思われて、「めんどくさい」と感じたり「できる気がしない」とひるんでしまったりしがちです。実際、日本の外でのことをがっさりと「世界」とまとめられても範囲が広すぎるわけで、そのように感じるのは人として正常な反応ではありますが、そんなことを言っていても受験勉強にはプラスになりません。取り掛かるのを先延ばしにすればするほど、「世界史」は「無味乾燥で苦痛に満ちた暗記科目」「知識の詰め込み」にならざるをえなくなり、得点源にすることが困難になってしまいます。

そうならないよう、「世界史で受験する」と決めたら、ベース作りは早めに取り掛かっておきましょう。

いきなり覚えようとしないこと

とはいえ、最初から「暗記しなければ」、「覚えなければ」と意気込んで取り組むと、すぐに息切れしてしまいます。「これを今暗記したところで、試験本番まで覚えていられるかどうか」など不安に駆られ、安定して勉強を続けることが難しくなることもあります。そうなってしまっては逆効果。

よく「試験本番直前におさらいのために使うような一問一答形式の問題集は、最初っからは手を出さないほうがいい」と言われますが、それはこのような理由によるものです。

まずは「イメージ」をつかむ

ではどうしたらよいか。最初は個別の細かな暗記ではなく、あるテーマやトピック(例えば「産業革命」とか「列強の中国進出」)の全体の流れを理解することを意識して、「イメージ」をつかむようにしましょう。(といっても、「絶対に暗記はするな」ということではありません。無理やり暗記する必要はないというだけです。「自然と覚えてしまう」といったようなことは普通にあるでしょうし、その場合はそのまま頭に入れてしまえばよいです。)

歴史は個別のデータの暗記は必要ですが、決して単なる「暗記科目」ではありません。全体の流れを把握せずに、年号や固有名詞を暗記するだけでは、大学入試では得点にはつながりません。一歩、踏み込んだところでの理解が必要とされます。「暗記」した知識を自分で使えるようにしていかねばなりません。そのためには、自分なりの「イメージ」で流れを理解することが重要なのです。

「イメージ」をつかむために活用したいのは……

受験のための勉強の最初の段階では、「覚えよう」などと意気込むことなく、リラックスして、「物語」を楽しむように世界史に接するようにしましょう。その段階で有益なのが、小説やマンガ、映画など、「ストーリー・テリング (story telling)」という形で歴史上の出来事や人物について伝えているものです。

それらにあまりに没頭して勉強そっちのけになってしまうのは本末転倒だし(ときどき、「マンガを読んでいたら、自分でも描き始めてしまい、貴婦人のドレスの細かいところが気になって、調べもので時間を使ってしまった」といったケースがありますが、マンガを描くのは受験が終わってからにしましょう)、いくら史実に基づいていたとしても小説や映画などにするときには必ず創作や脚色といったものが入ってくるので、すべてをそのまま事実として受け取ることはできませんが、そういった、いわば「限界」を知った上で、学習の一助とする分には、小説やマンガや映画は活用のしがいのあるものです。

「楽しみながら勉強する」というより、「楽しみで読んだり見たりするものが、結果的に勉強の助けにもなる」という程度ではありますが、これがなかなかあなどれません。教科書の上の、血の通わない固有名詞がセリフを言う人物(キャラクター)として立ち現れ、語呂合わせで必死に覚える年号が、「あのとき、自分はどこにいた」といったことを後に人々が語りたがるような決定的な瞬間として重みを持つようになることで、自分の中で明確な「イメージ」を結びます。それが、入試での得点力につながるような、本当に身についた知識を得る上で、とてもよいスタートになります。

「世界史」での受験準備に、この映画が役立つはず

まずは古典、『会議は踊る』(1931年)

ウィーン会議
18世紀末のフランス革命が途方もない大混乱をフランスにもたらし、その大混乱を収めたナポレオン・ボナパルトが19世紀の始めにヨーロッパ全域に途方もない大混乱をもたらす……という時代に区切りをつけたのが、1814年9月からオーストリア帝国(当時)の首都、ウィーンで開催された「ウィーン会議」です。呼びかけ人はオーストリアの外相メッテルニヒ。集まったのは、ロシア、プロイセン、英国、フランスなどの国家元首や代表者。

この会議は、ナポレオン戦争でぐちゃぐちゃになったヨーロッパの秩序を再建し、領土の問題を解決することを目的としていましたが、関係国が多い上に各国の思惑・利害が対立し、開催から何か月もの間、何も進まないという状態に陥ってしまい、本来添え物であるはずの舞踏会ばかりが目立つというありさまで、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄(やゆ)混じりで評されたほどでした。しかし、会議開催から約半年後の1815年3月にナポレオンが幽閉先のエルバ島を脱出したことが伝えられると、会議参加国代表は「これは一大事」と積極的になり、それでも3ヶ月もかかって、同年6月にようやく、さまざまな利害を何とか調整した「ウィーン議定書」が締結されました。こうして成立した「ウィーン体制」が、その後19世紀半ばのクリミア戦争まで、ヨーロッパに安定をもたらす役割を持ちました。

この「踊ってばかりで進まない」会議を舞台にしたフィクションの映画が、『会議は踊る』です。DVDが出ています。規模の大きな店舗ならレンタルショップにもあるのではないかと思います。

古い映画です。音声なしの「サイレント」だった映画というものが、音声ありの「トーキー」で作られるようになってほどなく、1931年にドイツ(当時は「ワイマール共和国」ですね)で制作されました。もちろん白黒。主演のリリアン・ハーヴェイという女優はドイツ人の父親とイギリス人の母親の間にロンドンで生まれた人です。そのほかの点でも、「国際(国家間: inter-national)」ということについて、自ずから語るところの多い映画です。

映画のストーリーは、伝統的な「オペレッタ」のような軽快なラブ・コメディーと言えるもので、決して小難しくも重苦しくもありません。会議の主催者メッテルニヒが、会議の結論を自分の思い通りにするうえで邪魔に思っているロシア皇帝を会議から遠ざけておこうと、あらゆる手を講じます。その計略に巻き込まれたのが、ひょんなことからロシア皇帝とつながってしまったウィーンの町娘、クリステル。しかし彼女の目の前には、別の女性と踊る皇帝の姿が(※実は影武者)……! という明るいドタバタ劇です。

ロシア皇帝に見初められたクリステルが、迎えの使者に連れられて馬車でロシア皇帝の別荘に向かうシーンで、映画音楽の歴史の中でも際立って有名な歌が歌われます。日本でもテレビCMなどで使われていましたし、最近では、宮崎駿監督の『風立ちぬ』の中でも挿入歌になっていますので、聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。下記クリップで2:00あたりから始まる場面です(頭出ししておきますね。映像クリップはドイツ語版で日本語字幕もありませんが、メロディがわかればよいということで、見てみてください)。

ウィーンの町の人々の祝福を受けながら、クリステルが別荘へと進んでいくこのシーンは、撮影技術が優れていることでも広く知られています。1931年という早い段階で、このような映像が作られていたことには、この映画を初めて見たとき、びっくりしてしまいました。現在、21世紀のさまざまな映像表現に接している中で見ても、やはり、新鮮です。

そういった「映画鑑賞という楽しみ」にあふれた作品ですが、「ウィーン会議を題材にした映画」ですから当然、「歴史の一コマ」も(風刺的に)描かれています。物語の終盤、メッテルニヒがうまいことやって、議場の各国代表を楽しげな舞踏会の音楽で釣り出し、議場に残った自分ひとりで「満場一致で議案は採決!」と宣言して自分も踊り出すというシーンはとてもコミカルなのですが、その後、「ナポレオンがエルバ島を脱出」という知らせが入ったあとの緊迫感は、この映画の中でここまで出てこなかったナポレオンという存在のもたらしうる問題の深刻さを、私たち観客にしっかり伝えています。

21世紀の今から見れば、いや、20世紀から見ても、「ナポレオン戦争」は遠い歴史上の出来事、教科書の何行かの記述に過ぎないことでした。私たちにとっては「戦争」といえば、20世紀の前半に起きた「あの戦争」しかない――そんな認識が、少し揺らぎました。教科書に出てくるどの戦争も、ただの説明的な記述ではなく、私が個人的に知らないおじいちゃん・おばあちゃんが「経験者」として語る「あの戦争」と同じように、重みのあるものだということが、もっとよく実感をともなうようになったのはさらに後のことですが、わかりやすく軽快で楽しいラブコメ映画、『会議は踊る』の一瞬の緊迫感もまた、「何かとても重いこと」が起きようとしていると誰もが悟ったということを伝えるものでした。さっきまでゲラゲラ笑っていたのに、一気にシーンとなる、という感じです。

この映画で「勉強」になったこと

この映画を見て直接「勉強」になったことは非常にシンプルで、「ナポレオン戦争の落とし前をつけようと各国が集まったウィーン会議は、それぞれが自国の利益を主張したためさっぱりまとまらず、各国代表はウィーンという華やかな都で遊興に明け暮れていたが、『ナポレオンが戻ってきたぞ!』の一声で我に返った」ということだけです。

しかし、教科書では数行で済んでしまうようなこの出来事に、「町娘とロシア皇帝のロマンスと、メッテルニヒの策謀」という物語が豊かな肉付けをし、頭の中で「イメージ」を結ばせてくれるのです。

そしてウィーン体制は、その後欧州列強がどう動き出し、19世紀をどのような時代にしていくかという流れにつながっていく重要な出来事です。特にロシアと、フランス、イギリス、ドイツなど欧州各国の関係は、見落とすことのできない大きなポイントです。

そのようなウィーン会議について、物語を通じて「イメージ」を持っておくことは、試験で使える知識を身につけるうえで役に立ちます。

映画『会議は踊る』の後日譚

この映画が作られた1931年といえば、ドイツではワイマール共和国の末期です。ちょっとウィキペディアを参照しておきましょう。

ナチスは1930年の選挙で第二党に躍進し、ヒトラーは1933年に首相になっている。ヒトラー政権は国民の芸術文化活動にまでに干渉を行い、ナチスはこの映画も含めて多くの映画を退廃的な芸術として上映を許さなかった。また、この映画の関係者らも次々とドイツを離れた。

会議は踊る – Wikipedia

つまり、ヨーロッパに大混乱をもたらしたナポレオン戦争の後始末をどのようにつけて「新たな国際秩序」を築くかという取り組みについての映画がドイツで作られたころ、当のドイツでは(第一次世界大戦を経て)次の大混乱をもたらすアドルフ・ヒトラーという人物が政治的な権力を握りつつあったのです。これはまさに「歴史の皮肉」と言うよりありません。

なお、ヒトラーの権力掌握の背景にあったのは、1919年のベルサイユ条約による「新たな国際秩序」に対するドイツ国民の不満と、1929年の世界大恐慌による不況でした。そういったことも含め、ドイツ現代史の専門家である石田勇治先生(東京大学大学院教授)が状況を非常にわかりやすく解説した新書がありますので、現代史重視の方は読んでみてください。図書館にもあるでしょうし、電子書籍化もされているのでスマホでも読書できます。

次回はアメリカの歴史の重要な転換点のひとつ、「奴隷制の廃止」をめぐる映画を見ていくことにしましょう。今回よりはずっと新しい映画を取り上げる予定です。

 

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