イギリスの議会制民主主義と、奴隷貿易の廃止~映画『アメイジング・グレイス』で「小ピットの時代」のイメージをつかもう!

The House of Commons 1793-94 by Karl Anton Hickel

奴隷制と奴隷貿易

前回は、ナポレオン戦争後に行われた「ウィーン会議」を扱った映画を取り上げました。今回からは、その前、フランス革命の時期から、ウィーン体制が崩壊する19世紀中葉から後半にかけての西洋(欧米)で、非常に重要な意味を持っていた「奴隷貿易」と「奴隷制」についての映画を見ていきましょう。

現代につながる重要な問題

世界史の教科書は「政治史」に重点があり、市民革命や国家間の関係(国際関係)は詳しく見ている一方で、奴隷制・奴隷貿易についてはわりとあっさりとしているかもしれません。しかし、市民社会の成立や自由主義思想、資本主義と自由貿易、また「普遍的人権」という理念など、私たちが生きるこの現代の基礎となっていることがらの多くが、奴隷制・奴隷貿易とその廃止・禁止と直接つながっています。そのつながりの「イメージ」を得ることができれば、東大や東京外語大などで出題される論述式の設問へも対応していけるような深い理解ができることでしょう。

今回の映画……『アメイジング・グレイス』(2006年): イギリス、「小ピット」の時代

今回は、2006年のイギリス映画『アメイジング・グレイス』を見てみましょう。映画を見る前に、少々前置きで解説をしておいたほうがよさそうな映画です。

「アメイジング・グレイス Amazing Grace」という歌は、ほとんどの方が聞いたことがおありでしょう。中には歌詞をそらんじている方もいらっしゃるかもしれません。

Amazing grace, how sweet the sound! That saved a wretch like me. I once was lost, but now am found. Was blind, but now I see.
(驚くべき恩寵、その妙なる響きよ! 私のようなどうしようもない者も救ってくださった。私はかつて迷える者だった。しかし今は〔神によって〕見つけられている。かつては目が見えていなかったが、今は見える)

……と、このような歌詞です。教会で歌われる賛美歌ですが、ポピュラー音楽としても親しまれていますね。

メロディーは文字で説明することはできないので、映像クリップを挿入しておきましょう。2015年、米ノースカロライナ州で白人優越主義者が黒人の教会を襲い、9人を撃ち殺すというあまりに陰惨な事件が起きたあと、犠牲者の葬儀でスピーチを行ったオバマ大統領(当時)が、この歌を歌い始めました。

どうでしょうか。曲名を聞いてもピンと来なかった方も、メロディを聞けばおわかりになったのではないかと思います。

映画を見る前に、この曲についてのウィキペディア日本語版のエントリにざっと目を通しておくと、映画の理解が深まるのではないかと思います。

この詞(詩)を書いたのは、元奴隷商人の牧師

さて、この曲の歌詞となった詩は、18世紀に生きたイングランド国教会の牧師、ジョン・ニュートンが書いたものです。

ニュートンは、宗教の道に入る前は、奴隷商人をしていました。しかし船の遭難と内面的な目覚めという経験を経て、過去の自分を悔いるようになります。「アメイジング・グレイス」の “a wretch like me” は、人間を人間と思わず、物のように扱ってきた自分のことです。

奴隷貿易禁止に尽力したイギリスの政治家、ウィリアム・ウィルバーフォースと、小ピット

前置きはこのくらいにして、そろそろ映画を見ましょうか。

この映画は、作詞者ジョン・ニュートン牧師についての物語ではありません。18世紀から19世紀にかけてのイギリスで奴隷貿易を禁止するために尽力したウィリアム・ウィルバーフォースという国会議員の半生をドラマとして描いたものです。

ウィルバーフォースの名には馴染みがなくても、映画の中で彼を奴隷廃止運動の活動家たちに引き合わせるウィリアム・ピットは、世界史の教科書でも太字で示されているからみなさんご存知でしょう――そうです、あの「対仏大同盟」の「小ピット」です。

物語の柱の1本が、政界に入りたての時期からピットの死に至るまで、20代から40代にかけてのこの2人の友情です。若い理想主義者が政治という現実にどう向かい合い、どのように年齢を重ねていったかを描いており、10代の皆さんはNHK大河ドラマのようなオーソドックスな歴史ドラマとして楽しめるでしょうし、お父さん世代は自分と重ね合わせてつい涙ぐんでしまうかもしれません。

主役のウィルバーフォースはヨアン・グリフィズ(イケメンが名演)、親友のピットは今のように売れっ子になる前のベネディクト・カンバーバッチ(さすがの演技)。ほか英映画界の渋い脇役俳優・名優が大勢出演して重厚なドラマになっていますし、衣装もインテリアも見所が多く、飽きさせません。多彩なキャラクターが出てくるので、特定の誰かに感情移入しながら見ることも可能でしょう。イギリスでは、公開当時、「説明的すぎる。教科書をそのまま映画にされても退屈だ」といった映画評が出ていたのですが、日本の私たちはイギリスの教科書で歴史を教わるわけではないし、当時の男性のカツラでさえ興味深く見えるのだから(イギリス人には日本の時代劇のちょんまげが興味深く見えるはず)、退屈には感じないでしょう。

下記が予告編の映像クリップです。

気に入ったら、YouTubeでそのままレンタルすることもできますが、DVDレンタルをしてもよいし、他のオンライン配信でも扱いがあります。また、タイミングによってはGYAO! の無料ストリーミングでも見ることができます。もちろん、ソフトの購入もできます。

イギリスの議会というドラマチックな場

重厚なドラマの中でも見ごたえがあるのは、議会でのやり取り(上記予告編の中にも入っています)。今もイギリスの下院(庶民院)の議場は、このころと同じ構造をしていますが、議員たちが「あちら側」と「こちら側」に分かれてベンチに座り、議論を戦わせます。議員席に机や名札はなく、原稿を読み上げるようなことは基本的にしません。

現在の議場の写真: ウィルバーフォースの時代とは別の建物になっていますが、議場の構造は当時とほぼ同じです。

当時の議場の様子を描いた絵: 映画にはこんなような場面があります。

The House of Commons 1793-94 by Karl Anton Hickel

The House of Commons 1793-94, by Karl Anton Hickel

この議場でウィルバーフォースら奴隷貿易廃止論者と激しく対立するのが、国王ジョージ3世の息子のクラレンス公爵(後にウィリアム4世として即位)やタールトン卿。現在はサッカーで有名な港湾都市リヴァプールは、当時奴隷貿易で潤っていたのですが、その港町の利益代弁者として「奴隷貿易がなくなったら、わが国の経済は立ち行かなくなる!」と主張するタールトン卿の野次や冷笑的なコメントは、「いくら映画でもいやな奴すぎる」と思ってしまうほどです。でも、映画だから誇張してあるというより、実際、ああいうふうな調子だったようです

この議場のシーンで、アメリカ独立戦争直後、フランス革命からナポレオン戦争、対仏大同盟という激動の中にあった「小ピットの時代」のイメージをつかみましょう。特にイギリスの政治家たちの間で、フランス革命の理念やフランスという国家に対する警戒感や敵意がどのようなものだったかが、よく伝わってきます。

同時に、議場で披瀝されているような当時のホイッグ党の主張を理解しておくことは、その後、19世紀の労働運動や社会主義が興った背景の把握につながります。

ちなみに、ウィルバーフォースらに反対して「奴隷貿易は必要だ」との論陣を貼ったタールトン卿は、アメリカ独立戦争でイギリス軍に従軍し、アメリカの独立を阻止しようと戦っています。イギリスの王立美術院(ロイヤル・アカデミー)の初代会長となったジョシュア・レノルズという一流の画家が描いた戦場でのタールトン卿の肖像画(ここで閲覧できます)は、18世紀の肖像画の名品のひとつに数えられ、現在もロンドンのナショナル・ギャラリーで見ることができます。

映画(ドラマ)であるがゆえの限界

ドラマとしては、自らの身をすり減らすようにしながらも、ウィルバーフォースが議場で奴隷貿易の禁止という偉業を成し遂げて終わるので、見た後の気分も上がります。それゆえ、批判もある映画だということは書き添えておきましょう。この映画では「白人の救いの手」のみが描かれていること、「黒人の苦難」はウィルバーフォースの法案通過で終わったわけではないことを認識しておくべきでしょう。

なお、映画では若き日のウィルバーフォースが、現在人口に膾炙している「アメイジング・グレイス」の歌を歌っていますが、実際にはこのメロディーができたのはもっとずっと後、1820年代のアメリカでのことと言われています。ほか、いくつか史実と異なる設定になっている部分もあるので、あくまでも「実話に基づいたドラマ」として見てくださいね。

さらに関心がある方は、ジョン・ニュートン牧師の回想録の邦訳(ウィルバーフォースについての解説つき)が出ていますので、読んでみるとよいでしょう。

なお、イギリスの奴隷貿易へのかかわりに関しては、2007年に奴隷貿易廃止から200年という節目の年を迎える前年、2006年2月にイングランド国教会が謝罪を行い、その9ヵ月後の同年11月に、ブレア首相(当時)が「深い遺憾の意」を表明していますが、全面的な謝罪はなされていません。

まとめ

『アメイジング・グレイス』は、このような「お勉強」らしいことを考えずに見ても、十分にそのよさが堪能できる映画です。連休・夏休みなどまとまった時間があるときに見て「イメージ」を膨らませておけば、その後でフランス革命・ナポレオン戦争・対仏大同盟の時代を「テーマ史」的に勉強する際などに、基礎として役立つことでしょう。

次回はアメリカが舞台の映画を見てみることとしましょう。

 

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