1945年8月6日に広島市に、9日に長崎市に、アメリカで開発された原子爆弾が投下され、14日には日本は「ポツダム宣言」受諾を連合国側に通告、そのことが15日に日本国民に発表され、9月2日の降伏文書署名をもって公式に、太平洋戦争は終結しました。
既にその3ヶ月余り前の5月には、ドイツ(ナチス・ドイツ)が降伏していたので、8月に日本が降伏したことで、第2次世界大戦は終結することになりました。
そして世界には平和が戻ってきた……わけではなく、その後世界は「冷戦 Cold War」と呼ばれる緊張関係に突入、世界のほとんどが、宇宙開発からスポーツ、文化までのありとあらゆる分野で「西側(アメリカ側)」か「東側(ソヴィエト連邦: ソ連側)」かに分かれて対立するようになっていきます。
この「冷戦」、何となくイメージはできていても、正確に何がどうだったのかは把握できておらず、間違ったふうに理解している受験生が少なくありません。現代史は学校の世界史の授業ではあまり分厚くは扱わないし、「冷戦」という言葉のもたらす強烈なイメージに引っ張られて、事実の確認がおろそかなままになっているのかもしれませんが、そのまま試験に臨むのは、あまり望ましくはありません。
今回のコラムでは、この「冷戦」について、ウェブ上の情報源を活用しながら調べながら見ていきましょう。
「ウェブ上の情報源」として使うのはウィキペディアです。ただし日本語版ではありません。世界中の英語学習者や、英語を外国語として使えるようにしようとしている人を対象とした「シンプル・イングリッシュ Simple English」版です。
以下、スマホでも対応できなくはありませんが、複数のウィンドウやタブを開いておけるパソコンのほうがやりやすいと思うので、可能ならばパソコンで閲覧してください。
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Simple English Wikipediaを見てみよう
まず、「シンプル・イングリッシュ」版のウィキペディアがどういうものかを見てみましょう。https://simple.wikipedia.org/ にアクセスして、ウィンドウの右側に表示されている “Selected article” のところを見てみてください。
ここは「今日のおすすめ記事」的なコーナーで、アップされている記事(エントリー)から優れたものが選ばれて紹介されています。このコーナーをざっと見ると、「英文が、分量はあるかもしれないが、平易である」ということがわかると思います。
どのくらい平易かというと、日本の受験生のみなさんなら、わからない単語が出てきたときに辞書を引けば、英語としては問題なく読めるようなレベルです。難関校・上位校の長文読解問題をやっている人なら、ほぼ間違いなく「簡単」と感じると言えるくらい。センター試験レベルの英文と比べても易しいですね。センター試験のリスニングの文章くらい、というのが一番近いかもしれません。
記事の検索の仕方などは、「シンプル・イングリッシュ」版も、通常の英語版や日本語版のウィキペディアと同じです。パソコンのブラウザで右上にある検索窓に、調べたい項目の語句を入れて検索します。
なぜ英語で、地歴分野のことをやるのか
英語で世界史分野のことをやるという方法は、「内容」と「言語」を結びつけた学習法です。こういう学習法は「内容言語統合学習 (Content and Language Integrated Learning: CLIL)」と呼ばれ、近年世界的に大変大きな注目を集めています。
英語の長文読解の問題などを解いていて、そこに書かれている内容に興味を持ったという経験は、だれしも持っていると思います。大学入試の長文読解問題は、「異常気象はどのように引き起こされるか」とか、「ドイツ系アメリカ人は第一次世界大戦の時代をどう過ごしたか」とか、「インターネット上の情報の流れはどうであるべきか」などなど、多種多様なトピックと出会うよい機会でもあります。
英文を読みながら「受験に必要かどうか」とか「この文をto不定詞を使って書き換えたらどうなるか」とかいったことを考えずに、そのようにして出会った話題について考えることができているとき、人は「英語で読んだことを、英語で受け取って、自分の頭で考えている」と言うことができます。
それができるということは、英語が自分のものになっているということです。頭の中に英語の情報の処理回路ができているのです。
それを定着させ、さらに発達させていくために、「内容」と「言語」を結びつけて、「英語で世界史を学ぶ」という学習法が効果を発揮します。
英語の情報の処理回路が頭の中にできていると、大学入試の長文読解問題で時間が足らなくなるようなことが避けられます。そういった準備を、授業ではあまり詳しくやらない現代史のトピックについて基本的なことを勉強しながら、やってしまおうという、いわば「一石二鳥」的な学習法です。
もちろん、人によって合う・合わないはあるでしょう。こんなことをしていたら余計に効率が悪くなるという方もいらっしゃるかもしれません。でも、もし「このやり方、いいかも」と思ったら、今回のこのコラムをヒントとし、自分の中でシナプスのつながりを次々と作っていくイメージを持って、自分でどんどん幅を広げていってみてください。
では、そろそろ本題に入りましょう。
「冷戦 Cold War」
「冷戦」は、英語では Cold War と言います。「シンプル・イングリッシュ」版ウィキペディアでCold Warを検索すると、下記ページが出てきます:
https://simple.wikipedia.org/wiki/Cold_War
このページの最初の部分に、次のように書かれています。
The Cold War (1947 – 1991) was the tense relationship between the United States (and its allies), and the Soviet Union (the USSR and its allies) between the end of World War II and the demise of the Soviet Union.
【対訳】冷戦(1947~91年)は、アメリカ(およびその同盟国)と、ソ連(およびその同盟国)との間の、緊張した関係のこと。第2次世界大戦の終わりから、ソ連崩壊まで続いた。
どうでしょう? 問題なく読解できたでしょうか(わからない単語は辞書を引いてください)。
そもそも「冷戦」の「冷」とは何か
つまり、「冷戦」とは、「緊張した関係」のことです。「戦争」ではありません。
「冷戦(冷たい戦争)」という表現は、一種の比喩でした。第2次世界大戦のような、軍事力を直接行使して行う「熱い戦争」に対し、戦後生じた「直接戦火を交えることはないが、戦争のような極度の緊張関係が続いている状態」を「冷たい戦争」と呼んだのです。
この「軍事力」というのは、爆弾や機関銃、突撃銃などいわゆる「通常兵器」も、核兵器など「非通常兵器」もひっくるめた言い方です。
よくある誤解・誤認
「冷戦」という言い方が「熱い戦争」との対比だということはほとんどの方が把握できているのですが、世界が冷戦に突入する直前に原子爆弾が開発・投下され、冷戦が始まってからはアメリカもソ連も核武装を強化しつつも、最終的には核兵器の使用という事態には至らなかったという事実から、「冷戦で使われなかった『熱い武器』は、核兵器のことだ」と早合点・誤解するというケースが、けっこうあります。
さらに、そこから転じて、「米ソは核兵器は使わなかったが、通常兵器を使って戦争していた」と思い込んでいるケースすらあります。
実際、朝鮮戦争(1950~53年)ベトナム戦争(1950年代~1975年)のような、米ソの「代理戦争」(米ソ両陣営が、直接は武力衝突せず、それぞれ支援する勢力同士が戦うという戦争)はいくつも発生していましたし、「冷戦とは、米ソが核兵器を使わずに行った戦争のことだ」と誤解するのも無理はないかもしれない、と思います。
しかし、それは事実とは異なるのです。まずはその点をしっかり押さえてください。「世界史の学習はイメージを持つことで苦痛に満ちた退屈な暗記科目ではなくなる」ことは確かですが、その「イメージ」は「早合点、独り合点」や「自分の勝手な思い込み」であってはなりません。あくまでも事実が最も重要です。
冷戦ではどんなことが起きていたのか
冷戦下の国際社会がどのようになっていたのか、ウィキペディアの記述でポイントとなる部分を抜き出して読んでみましょう。
Most of the countries on one side were allied in NATO whose most powerful country was the United States. Most of the countries on the other side were allied in the Warsaw Pact most powerful country was the Soviet Union.
…
Both groups of nations had opposed Nazi Germany.
つまり、世界はアメリカ側(西側)であるNATO(北大西洋条約機構)陣営と、ソ連側(東側)であるWarsaw Pact(ワルシャワ条約機構)陣営に分かれました。第2次世界大戦ではどちらもナチス・ドイツに対抗して戦っていました。
第2次大戦での「連合国」(戦勝国)が、戦後、世界全体を巻き込みながら、西側と東側に分かれて対立することになったわけです。西側が「資本主義、自由主義」陣営、東側が「共産主義」陣営でした。
ウィキメディア(画像資料集)には、次のような世界地図があります。冷戦体制下である1959年の世界を、「西側」を青系の色で、「東側」を赤系の色で塗って示しています(アフリカ大陸などにある緑色は、まだ独立を達成していなかった西欧列強の植民地です)。
日本は、第2次大戦ではナチス・ドイツと同じ側(枢軸国)にいて、連合国を敵として戦っていたのですが、戦後はアメリカの占領支配を受け、「西側」に組み込まれました。上の地図でも青く塗られていますね。
一方でドイツは「西側」である西ドイツと「東側」である東ドイツに分断されました。地理的には東ドイツに位置していた従来の首都ベルリンは、1945年5月の降伏文書署名後、連合国側の4カ国(米・英・仏・ソ)による分割統治を受け、「冷戦」体制下では都市自体が東西に分断されました(米英仏占領地域が「西ベルリン」、ソ連占領地域が「東ベルリン」)。両者の間には壁が築かれ、相互の行き来はできなくなっていました。
次回はこの「ベルリンの壁」と東西ドイツについて、見ていくことにしましょう(9月掲載)。
まとめ
絶対に押さえておくべきポイントは、「冷戦 Cold War」は、実際の「戦争 war」ではなく、国々の「関係 relationship」のことであった、という事実です。
「冷たい」は「武力を行使しない」ことを言う比喩です。武力を行使したときに、国と国との関係は「(国家間の)戦争」になってしまいます。(なお、同様に「戦争」という言葉を使いますが、ひとつの国の中でのいわゆる「内戦」には、この定義はあてはまらないので、注意が必要です。)
今は、日本から飛行機に乗ってフランスやイギリスに行くときに、ロシアの上空を飛んでいくことは普通です。しかし冷戦期は、「西側」の日本の飛行機が「東側」のソ連上空を飛んで、「西側」の目的地に向かうということは、基本的に、ありませんでした。ではどうしていたかというと、日本を飛び立った飛行機は北米大陸の方に進み、アメリカのアラスカ州、アンカレッジで給油してから、西ヨーロッパに向かったのです。
そういったことに興味がある方は、「乗りものニュース」というサイトに掲載されている「『アンカレッジ』なぜ聞かなくなった? 日本に縁深かった空路の要所、その『いま』」という記事を読んでみると、イメージがふくらむでしょう。
2010年代も終わろうとしている今、「冷戦」は遠い昔のことかもしれません。受験生のみなさんにとっては、自分が生まれるずっと前のことですからね。しかしそれは、現実だったのです。私たちの生活や世界の認識の仕方のすみずみにまで入り込んだ現実だったのです。
その「イメージ」を持つようにしてみてください。現代史がとっつきづらいものではなくなってくると思います。