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映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
2018年3月末に日本でも劇場公開が始まったスティーヴン・スピルバーグ監督の『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を見てきました。主演にメリル・ストリープとトム・ハンクスを配し、丁々発止のやり取りでスリリングなストーリーが進行する、まさに「一流の社会派エンターテイメント」としか言いようのない映画でした。約50年前に実際にアメリカのジャーナリズムに起きたことを、2010年代という「今」の視点からドラマ化した作品ですが、「ポスト真実」や「オルタナティブな事実 (alternative facts)」といったフィクションめいたことが現実となっているなか、この映画のストーリーを「半世紀も前の、昔の出来事」と見ることはできず、約2時間の上映時間が、とても短く感じられました。
「言葉」を基本とする人びとを描く優れた脚本
題材自体がたいへんに興味深く、主演2人以外も俳優陣は実力者ぞろいで、映像もすばらしいのですが、「一流の社会派エンターテイメント」として成功したのは、何より、脚本が優れていたためでしょう。「正義のジャーナリストvs悪の政府」という単純明快なストーリーにもなりえたところで、そういう「勧善懲悪のヒーローもの」めいた空疎な映画ではなく、重厚なドラマとして見ごたえのある作品になっていました。それでいて重苦しくはなく、観客を飽きさせないあたり、さすがスピルバーグです。
ジャーナリスト、特に新聞社の人たちは、言葉によって物事を広く人々に伝えることを仕事としています。基本的に、言葉がすべてという仕事です。その彼ら・彼女らが何を信じ、何を原理原則として、忖度(そんたく)を要求してくる政府に対抗したか、ということだけなく、忖度を要求する側(図式的に言えば「疑惑の政治家」)と極めて親しい関係にある新聞社の社主や、任期半ばで凶弾に倒れた悲劇の大統領(ではあるけれども、実は欺瞞に満ちていた人物)と家族ぐるみで友人関係にあった記者が、新聞社が入手した極秘文書に記されている「真実」を前にし、どのようにたじろいだか、あるいはたじろがずに前に進もうとしたか、その過程でどのような人々と言葉を交わし、どのように考えを変えたか、あるいは固めていったか……そういったことが、言葉によって緻密に描かれているのが、この映画の脚本です。ひとつひとつのセリフが聞き所で、目を皿にする……いや、耳を漏斗にするようにして、映画館の座席に座っていました。
中でもはっとしたのが、howeverという単語が出てきたシーンです。
〈対照〉のhowever
Howeverは、みなさんご存知のとおり、「しかしながら」という意味を表す副詞です。副詞ですが、接続詞的に用いられます(辞書によっては「接続詞」として扱われているかもしれません)。それまで述べていたことと対照的なことを述べるときに使う語です。学習の過程では、明確な〈逆接〉というよりは〈対照〉というニュアンスだととらえてみると、理解しやすいと思います。
辞書での定義と例文
Collins Cobuild English Dictionaryでは、次のように定義されています。
You use however when you are adding a comment which is surprising or which contrasts with what has just been said.
「意外に感じられることを言い添えたり、さっき言われていたのとは対照的なことを言い添えたりするときに、howeverという語を用いる」というような定義ですね。
この定義に続いて、例文が3つ挙げられています。どのような例文かはCollinsのサイトで確認してください。
1つ目の例文はやや高度です。「これは簡単な決定ではなかった。義務感に駆り立てられての決定だ」という意味で、easyとdictated by our dutyが〈対照〉されています。明確な〈逆接〉とは少し違うというニュアンスがよくわかる例ですね。「自分ならhoweverを使わず、not A but Bの構文を使って表すだろうな」と思いつつ、こういう表現もあるのか、と思わず φ(.. ) メモメモ……したくなる例文です。
2つ目は、よりシンプルでわかりやすい論理構造をしています。「一部の穀物は不作だったが、綿はかなりよい出来だった」という意味で、これは単にbutに置き換えて、 Some of the food crops failed, but the cotton did quite well. としても変わらないでしょう。
※細かいことですが、howeverを使うときとbutを使うときとでは、コンマ・ピリオドの使い方が違います。
Some of the food crops failed. However, the cotton did quite well.
Some of the food crops failed, but the cotton did quite well.
【説明】howeverは接続詞ではないので文と文を接続することはできないため、ピリオドでいったん切る必要がありますが、butは接続詞(等位接続詞)なので、コンマを置いて文と文を接続することができます。
Collins Dictionaryで挙げられている例文の3つ目は、この文だけでは何が〈対照〉されているのかはっきりしませんが、それについての推測は十分にできますね。「しかしながら、売り上げ高が伸びたことは収益には結びついていない」という意味ですから、おそらくこの文の前で、「第三四半期は出店を増やした影響で、売り上げ高は伸びたが」などといったことが述べられているのでしょう。
英語に必要なのは「形」ではなく「論理構造」
このような〈対照〉の論理構造があるとき、これまで言っていたこととは対照的なことを提示するときに使われるのがhoweverという語です。
逆に言えば、そういう論理構造がないときにhoweverという語だけを使ってしまうと、意味が取れない英文(というより「英文もどき」)になってしまいます。この点は十分に注意しておいてくださいね。
「形」を変えることでいろいろできる日本語、それができない英語
高校生のみなさんが書いた英文を見ていると、「howeverを使えば何となく格好がつくと認識しているのだろうか」と首をひねらざるを得なくなることがよくあります。しっかり確認しておいてもらいたいのですが、英語は一にも二にも論理構造が必要で、「形」だけ整えてもダメな言語です。
日本語は「形」で決まる部分がかなり多い言語です。だらだらと書かずに文を切って接続詞を使えば、あるいはその接続詞――例えば「だが」や「しかし」、「然るに」――を変えれば、それだけで何か論理的な感じ、正式な感じ、古い感じの文にすることができます。その他、細部の言い方や語尾を変えることで、同じことを言うのでもさまざまなニュアンスをつけることができ、社会的文脈 (social context) まで決められるのが日本語です。
例えば、「映画見に行きたいけど、時間ない」は親しい友人や家族との間の会話(タメ口)か独り言だし、「映画は見に行きたいんですが、時間がないんです」は目上の人やよく知らない人との会話でしょう。「映画を見に行きたい。しかし時間がない」は、完璧な日本語だけどぎこちなく感じられ、翻訳文体というか問題集文体というか、自分ではこうは書かないだろうなという文体に見えます。「映画を見に行きたい。然るに、時間がない」などなると、「映画」は「活動写真」と言い換えたほうがよいのではないかと提案したくなるような、時代がかった感じですね。
また、「しかし、俺には時間がない」ならしっくりくるけど、「然るに、俺には時間がない」は奇妙すぎます。主語の「俺」と接続詞の「然るに」がちぐはぐで、「然るに、吾輩には時間がないのだ」などと書き直したくなります。
このように、「しかし」の代わりに同じ意味の「然るに」を使っただけで、文章全体のニュアンス、社会的文脈が変わってくるのです。何とも豊かで楽しい言語です、日本語は。しかしそういうことができるのは、基本的には、古めかしい語を使ってみるとか、漢字・かなを使い分けるくらいのことでいろんなニュアンスが出せもする日本語の特権だと考えておきましょう。
英語ではそうはいかないのです。文章のどこかでhoweverを使ったからといって、それだけで文章全体の印象を作ることはできません。英語で必要なのは、第一に、論理構造です。Howeverでいえば、上で述べたような〈対照〉の論理構造が必要なのです。それがないところでhoweverという単語だけ使っても、文全体が意味不明になって終わります。
映画『ペンタゴン・ペーパーズ』の中でのhowever
さて、howeverという語についての説明が長くなってしまいましたが、ここで話を元に戻して、映画『ペンタゴン・ペーパーズ』です。
先ほど、この映画の脚本が優れていたということを述べた部分で、「中でもはっとしたのが、howeverという単語が出てきたシーンです」と書きました。これがまさに、〈対照〉の論理構造のお手本でした。
それは、ワシントン・ポスト紙が入手した政府の最高機密文書についての記事を、新聞紙面に掲載するかどうかの最終決定を、社主のキャサリン(ケイ)・グレイアムが下す場面です。
あまり詳しく書くと「ネタバレ」になってしまいそうですが、この物語は歴史的事実を描いた物語で、最終的にワシントン・ポストがどう判断したかは映画を見に行く前から誰もが知っていることですし、それをここで説明しても「ネタバレ」にはならないでしょう。ただ、映画のストーリーのスリルを100%、誰にも邪魔されずに楽しみたいという方は、ここで読むのをやめてくださいね。本稿は、写真のあとに続きます。
特ダネを入手した記者たち、会社の安定を望む重役たち、そして決定的選択を迫られた社主
リークされた膨大な量の機密文書を手にした記者たちのチームは、ごく限られた時間の中でそれを分析し、重要なポイントを選び出して、新聞の一面に掲載するスクープ報道の記事を書き上げます。書き上げられた記事の原稿は印刷所に渡され、植字工が印刷の原版を組み上げます(この映画の舞台である1971年は、まだ、金属で作られた活字を組み上げて原版を作ってから印刷していた時代です)。さあ、あとは社の上層部からのゴーサインを受けて、印刷を開始するばかり。印刷所ではみなが固唾を飲んで、電話での連絡を待っています(言うまでもなく、携帯電話など使われていない時代ですから、印刷所の壁に取り付けられた固定電話が鳴るのを待つばかりです)。
そのころ上層部――社主のキャサリン・グレイアムや、取締役の面々、顧問弁護士――は、難しい選択を迫られていました。この文書を公表すれば、ワシントン・ポスト社は政府から訴えられることになる(その理由については、映画でご確認ください)。そんなことになれば株式上場の予定も頓挫してしまい、社は立ち行かなくなる可能性が高い……という局面です。取締役たちはその点を強く主張し、キャサリンは印刷を止めるよう指示を出すべきだと訴えます。
一方、上層部の話し合いの場には、報道しないなんて考えられないとして動いてきた編集主幹のベン・ブラッドリーも来ています。記事を掲載すべきか、やめておくべきか、両陣営の激しいやり取りがあり、最高責任者であるキャサリンがそれを引き取って自分の言葉で状況を整理します。
「このまま行けば、刑事訴追される可能性がある。そうなれば社はダメになってしまう。そうですね。そして、私たちには社に対する責任がある。全社員に対する責任があります」とキャサリン。
「その通りです」と取締役の1人が言います。
キャサリンは、ワシントン・ポスト社の社主の娘として生まれましたが、父親が会社を譲ったのは彼女の夫で、彼女ではありませんでした。その夫が突然非業の死を遂げたために会社を受け継ぎ、社主となったのですが、ビジネスウーマンではありません。だから彼女には取締役たちの助言が欠かせません。「元専業主婦」に何ができるという逆風にさらされてきた女性で、自分のすることにまだ自信が持てずにいます。その彼女が、ビジネス面での支柱となっている取締役たちを前に、このような選択を迫られています。
なので、普通に考えれば、このあとキャサリンは「ですから」と〈順接〉で話をつないで、「会社を守るために、この記事の掲載は見送りましょう」などと結論しそうなものです。「今日は見送って、少し検討しましょう。その結果、問題がなさそうなら、明日掲載しましょう。それでいいですね、編集主幹」というような流れがありそうです。
ところが、ここでキャサリンは〈逆接〉を使うのです。それが、howeverです。
「あなたがたのおっしゃることはわかりました。しかし……」
取締役たちの主張どおり、「会社を存続させる責任があります」という方向で決着しそうに思われたときに、彼女は「そうですね」とうなづいておいて、すぐに「しかし」と言うのです。“Yes. However, …”
そしてこの「しかし However」に続けて、株式公開時のミッション・ステートメント(会社の目的・目標を明文化したもの)に明記されている「報道機関のあり方」を確認していきます。取締役たちの主張する「実務面」とは、対照的なことを持ち出しているのです。
「しかし、ミッション・ステートメントには、ワシントン・ポスト紙は調査と報道において傑出した存在でありたいとも書いてありますね。そして、この国のためになることをし、自由な報道という原則を守り抜くと」
ここで取締役たちがあわてふためきだして口々に言う言葉が、butです。これはもちろん〈逆接〉の接続詞ですが、論理構造上は先ほどのキャサリンのhoweverとは別もので、日本語でいうと「でも、だって」の意味(ここでは社主に対してなので「ですが」という日本語が適切でしょうね)。「自由な報道という原則に徹する」と言う社主キャサリンに、取締役たちが「ですが、そんなことをすれば株式上場が……」と食い下がるのです。
それを制するキャサリンの言葉は、「堂々たる決めゼリフ」と呼びたくなるようなものでした。具体的には映画を見ていただきたいのですが、映画の観客はここで、もはや彼女が「元専業主婦」ではなく「社のために重大な決断を下すビジネスパーソン」であることを悟るでしょう。
社主キャサリン・グレイアムの決定を受け、ベン・ブラッドリー編集主幹は電話に飛びついて印刷所に連絡を入れます。「印刷にかかれ!」
このワシントン・ポストの報道は、最初にこの政府の最高機密情報を報じて報道差し止め処分を下されたニューヨーク・タイムズの報道とともに、ベトナム戦争という泥沼に放り込まれたアメリカ国民の間に、とてつもなく大きな波紋を広げました。
このとき、報道機関に圧力をかけた当時のリチャード・ニクソン大統領(共和党)は、最終的には1972年のウォーターゲート事件(民主党党本部盗聴工作とそのもみ消しなどなど)によって辞職(1974年)に追い込まれました。この事件の報道で最も重要な役割を果たしたのが、1971年にはまだ「地方紙」レベルのステータスしかなかったワシントン・ポストです。
ちなみに、ウォーターゲート事件に関しては、早くも1976年に、ワシントン・ポストのジャーナリストたちを描いた映画が作られています(『大統領の陰謀 All The President’s Men』。主演はダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォード)。
2時間の映画で、1ヵ所しか使われていなかったhowever: 起承転結の「転」
以上が映画『ペンタゴン・ペーパーズ』と、その中に出てきたhoweverという言葉のあらましです。
2時間ほどの映画の中で、howeverという単語が出てきたのはそこだけでした。その、たった1ヵ所のhoweverが、とても強烈な印象を残したのです。その事実から、改めて、英語の深さを感じずにはいられません。
このhoweverは、ただの「しかし」という〈逆接〉ではなく、日本語での文章を書く上で馴染み深い「起承転結」という構造の「転」を導入する言葉として機能しています。
この映画は、キャサリン・グレイアムのストーリーとしても、ベン・ブラッドリーのストーリーとしても語ることができるのですが、キャサリンのストーリーとしては、「起」がビジネスパーソンとして自信が持てずにいるキャサリン、「承」が編集部員が手に入れた政府の機密文書、「転」が彼女の重大な決断、そして「結」が彼女の決断がもたらした「報道の自由/自由な報道」という結果――という構成になるでしょう。
その構成の明示―― howeverという単語は、たった一語だけで、このような役割を果たすことができるのです。
「夢は本当に実現する」~脚本家の言葉
この脚本を書いたリズ・ハンナさんは1985年生まれ。まだ若い脚本家で、経験も多くはありません。映画のプロデュース方面の仕事をしてきた彼女が、脚本を書くという方向に転じたのは2012年、初めて実際に映画として制作された長編の脚本が『ペンタゴン・ペーパーズ』で、いきなりゴールデングローブ賞最優秀脚本賞にノミネートされるなど、高く評価されています。キャサリン・グレイアム(2001年没)の自叙伝を読んで感銘を受けた彼女が元の脚本を書き上げたのは、ドナルド・トランプが大統領に選ばれる直前の2016年10月でした(実際に映画化されるにあたっては、より経験豊富なジョン・シンガーという脚本家も加わりましたが)。ウィキペディアや映画に関するデータベースのサイトを見ると、既に何本かの脚本の仕事を進めているようで、次の映画を楽しみに待ちたい脚本家です。
『ペンタゴン・ペーパーズは』今年1月、ドナルド・トランプ大統領就任から1年というタイミングで全米公開されました。そのときのリズ・ハンナさんのツイートが下記です。
18 months ago I almost gave up on my dream of being a writer. I decided that if I was going to, I couldn’t before I tried to write the story I’d wanted to write for years. This is that story. Dreams really do come true. If you don’t believe me, just look in a theater near you. pic.twitter.com/ToKLU15e1I
— Liz Hannah (@itslizhannah) January 12, 2018
「1年半前、私は脚本家になるという夢をあきらめかけていました。そして、どうせあきらめるのなら、何年も前から書きたかった話を書かずには終われないと思いました。そうしてできたのがこの映画の脚本です。夢は本当に実現するのです。私の言っていることが信じられない方も、お近くの映画館をチェックしてみてください」とハンナさんは書いています。
この映画は、4月にはアメリカでDVD/Blu-ray化され、デジタル配信も始まっています。それを告知する映画公式アカウントのツイート:
The true story of a woman who took The Washington Post to new heights. Witness Meryl Streep’s Best Actress nominated performance as Kay Graham in The Post – available on Digital now. Watch it tonight! https://t.co/X2GKkPRsJn pic.twitter.com/emo3QKtR0c
— The Post (@ThePostMovie) April 5, 2018
ツイート本文は「ワシントン・ポスト紙を新たな高みに引きあげたひとりの女性の実話。(アカデミー賞の)最優秀主演女優賞にノミネートされたメリル・ストリープの迫真の演技を、あなたもぜひ目撃してください」といった呼びかけですね。ツイートされている動画には、映画のワンシーンが入っています。
というわけで、みなさんもぜひ、この映画を鑑賞してみてください。本稿で述べたhoweverのほかにも使える英語表現がたくさん入っていたので、物語を楽しみながら聞き耳を立ててみると、人それぞれ、いろんな発見があると思います。
本稿で参照した主要リンク先
映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』公式サイト(日本語):
http://pentagonpapers-movie.jp/
※特に「プロダクション・ノート」のコーナーは必読の内容です。
Collins Cobuild English Dictionaryでのhoweverの定義(英語):
https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/however
※非常に優れた英英辞典。オンラインで完全に無料で使えます(紙版も出ています)。
おことわり
※ワシントン・ポストの社主、Katherine Grahamの名字は、映画の字幕では「グラハム」となっていましたが、実際には「グレイアム」(または「グレアム」)と発音されていますので、本稿では「グレイアム」の表記を採用しています。
※写真は、特にクレジットのないものは、by samneco, CC BY 2.0