リスニングの力をつける方法として、ウェブ上にある字幕つきのニュース映像を活用してみようとか、音楽を聴いて音の認識・把握力を高めようとか、聞こえてくるものを文字にして書き出して音の認識とは別の面を強化しよう、といったことをご紹介してきましたが、「映画はどうでしょうか」というお問い合わせもいただきます。今回はそれについて書いてみることにしましょう。
リスニングと映画
〈意味〉を把握した上で〈音声〉が聞けるという利点
「少しでも英語の力をつけようと、日本語吹き替えでなく字幕版を見るようにしています」という人は少なくありません。それは効果のないことではありません。
よほど長い台詞でない限りは、音声より字幕の方が情報が早く頭に入ってくるはずです。つまり、日本語で字幕を見て「言っていること」の意味をつかんだ上で音声が耳から入ってくるので、単に「英語の音声を認識する(聞き取る)」のとは別の、意味からのアプローチができるのは、トレーニング的な意味で有益です。
教材にならない映画もある
ただしこれにも限界はあります。まず、「音として聞き取れないものは、どうしても聞き取れない」ということ。とても早口だとか、独特のアクセント(訛り)があるとかいった〈話者の側の問題〉による場合も、語彙力が少なすぎるといった〈聞き手の側の問題〉による場合もあります。
前者の例としては、例えばこの映画予告編。以前説明したような手順で字幕(クローズド・キャプション)を表示させることができるようになっているのですが、この字幕が音声認識による自動生成で、笑うしかないほどデタラメです。”I’ve got” が “about” として出力されるくらいにデタラメです。
なぜそんなことになっているかというと、この映画(『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』、1998年・イギリス)の登場人物はほぼ全員が非常に濃い「コックニー」だからです。コックニーは、以前少し説明しましたが、ロンドンの主に東部に暮らす労働者階級の人々の話し方です。あまりに濃いコックニーはアメリカ人は聞き取れないようで(筆者もかなり無理です)、この映画でも最も濃いコックニーのシーンには、英語で字幕がついていました。
コックニーの聞き取り練習をするには非常にすばらしい教材ですが、このような映画は、一般的なリスニングの練習には向きません。
訛りだけでなく、スラング満載の映画も、受験に向けての勉強としてはイマイチです。
また、「大半、叫んでるだけ」のようなアクション映画の類も、リスニングの教材にはあまり向いていません。映画を見るのに要する時間とそこから得られる効果という点から、あまりにも効率が悪いのです(映画を見てスカっとするのがメインで、聞き取りはついでにやる、という程度に位置づけておけばよいかもしれませんが)。
また、〈聞き取る側の問題〉としては、語彙レベルが合っていないものは教材にはなりづらいです。ニューヨークの街を舞台にした人間ドラマは聞き取れても、ウォール街の金融機関を舞台にした企業モノのドラマは単語がわからない、といったことはありがちです。
興味・関心の問題もあります。例えば宇宙科学に興味がない人にとっての宇宙飛行士ものの映画、野球を知らない人にとっての野球映画は、出てくる単語がわからなさすぎて聞き取り練習にはならないでしょう。恋愛に興味がない人が恋愛映画を見ても、「なぜこのような会話を交わすのか」といったことがよくわからない場合は、効果的な練習にはなりづらいです。
そういった点に留意して教材を選べば、映画を使った聞き取り練習はかなり効果的ですよ。
(西洋版の)時代劇はよい教材になる!
基本的には、自分の好きな映画を教材にできるとよいのですが、以上のような点から一般的な「おすすめ」を述べるとするならば、やはり西洋版の時代劇がよいと思います。ストーリーがはっきりしていて、台詞も妙に凝っていない――というか「今の最先端のスラング」のようなものが入っていることがないからです。
例えば、7月にアップロードしたコラムで見た映画『アメイジング・グレイス』の中にも、英語として「おっ」と思う箇所がいくつかありました。聞き取り練習に適しているだけでなく、英文法を「生きた英語」と結びつける上でもかなりよい例になっていると思います。
映画『アメイジング・グレイス』(2006年・イギリス)
この映画は、18世紀末から19世紀初頭にかけて、イギリスの奴隷貿易の廃止に尽力した国会(下院)議員、ウィリアム・ウィルバーフォースと、彼の親友で後に最年少の首相となるウィリアム・ピット(小ピット)を描いた歴史ものです。詳しい内容紹介は7月の記事をご参照ください。
予告編:
DVD:
では、以下でいくつか、この映画の中のリスニングのポイントを解説していきましょう。
if節のない仮定法: “No true friend of mine would …”
ウィリアム・ウィルバーフォースらが準備した奴隷貿易禁止の法案の議会下院(庶民院: the House of Commons)での採決を控え、首相のウィリアム・ピットのもとに不穏な情報が入りました。法案が通るための過半数を得られるかどうかはギリギリですから、1票も逃せません。しかし、最終的態度は未決定ながら、法案賛成に回ると見られていたスコットランドの議員、ダンダス卿に、法案反対派が接触しているという話です。ダンダス卿は実力者で、彼の判断にはスコットランドの議員34人が従います。彼が反対に回ったら、法案の可決・成立はほぼ絶望的。
そんな決定的局面で、ピット首相は、ダンダス卿と1対1で話をします。映画で1時間06分あたりからの場面です。テーブルに向かい、カード(トランプ)を切っているピット首相に近づいて、ダンダス卿は「土曜日はあなたからたっぷりいただきましたが、今はカード遊びなどしている時間はないのですよ。国会で緊急の用件がありますから」と言います。(スコットランドの人なので、話し方が独特で、聞き取りが難しいかもしれません。)
Really I have no time for cards. I have an urgent business in the house.
(本コラム筆者による聞き取り。以下同)
ピット首相はその言葉を無視して、淡々とカードを配り始めます。はるかに年下とはいえ、相手は首相。ダンダス卿は観念して「やれやれ」とため息をつきながら着席し、配られたカードを手にします。
ピット首相は目を上げもせずに、「首相という立場にいると、汚水溜りにゴミが集まってくるように、さまざまなうわさが耳に入ってきますね」と言います。「例えば?」と聞き返すダンダス卿。ピット首相は、ここで目を上げて、「法案反対派の実力者であるタールトン卿(下院議員)が、法案賛成派の実力者を買収したとかいううわさですよ」。
固い表情で見返すダンダス卿。ピット首相はその目をまっすぐに見て、こう言います。
Of course, no true friend of mine would accept such an offer.
「むろん、私の真の友であれば、そのような申し出は受けないでしょうがね」
ベネディクト・カンバーバッチの口調に注目です。同じように「クギをさしたい」ときにどう言えば効果的か、お手本になりますよ。
この場面は、このあとのダンダス卿の返しまで含めて、まさに英国らしい「セリフ劇」で、ぞくぞくするできばえです。さらに、採決当日、ダンダス卿がどういう態度に出たかも「英国史」という観点からは大きな見所のひとつですが、それは映画本編を見てお楽しみください。
2つのbeing: “Now the war in France is being won” と “Stop being afraid”
最初の採決で敗れて以降、何度トライしても法案は通りません。その間にフランスで革命が起こり、イギリスでは「フランス人が攻めてくる」「国を守れ」というパニックと愛国熱が生じます。現状維持(つまり奴隷制の維持)に反対する人々には「外国のスパイ」「国家の敵」「反逆の煽動者」というレッテルが貼られます。ピット首相も、奴隷貿易の停止は脇において、国を守るため議会をまとめるという方向に行きます。大学時代から続いてきた2人の友情には、修復しがたい亀裂が入ってしまいました。
失意のウィリアム・ウィルバーフォースはかねてから体を悪くしていたために痛み止めのアヘンチンキに頼る日々を送っていましたが、友人に連れられて温泉地のバースで療養生活を送ることになりました。そこで知りあったのがバーバラ・スプーナー。ウィルバーフォースより一回り年下の女性で、かつて奴隷貿易禁止運動が盛り上がり、人々の支持を集め、現実面にまで影響を及ぼしたころ(「奴隷労働で作られた砂糖は使わない」という喫茶店が出現したそうです。現代の「風力発電でまかなった電気を使っています」といったエコ志向の高まりに似ていますね)、積極的に署名を集めるなどして運動に加わっていた彼女と話をするうちに、ウィルバーフォースは心を開いていきます。この映画は、彼女に対して彼が語る回想録という体裁です。
そしてウィルバーフォースが痛みを押して、なぜ今、バースで失意の中にあるのかというところまで話そうとしたところで、バーバラは「もう知っています (I already know)」と言い、ウィルバーフォースの奴隷貿易廃止法案を推進しようとした主要メンバーがその後どうなったか、運動がいかに失速したかを、上から目線で並べ立てます。本編で1時間19分くらいから始まるシーンです。
むっとしたような顔で見返すウィルバーフォースに、バーバラは決然とした表情で、「それがあなたの話の結末ですか (Is that the end of your story?)」と問いかけます。「問いかける」というより「挑発している」ようです。この話し方も応用が利きそうですね(あまりうっかり使うと、ケンカになりそうですが)。
この場面の会話は、次のように進みます。
Barbara Spooner: Is that the end of your story?
William Wilberforce: You think not?
Barbara Spooner: No.
William Wilberforce: Why not?
Barbara Spooner: Because after night comes day.
William Wilberforce: …
Barbara Spooner: The people aren’t so afraid, now the war in France is being won. And when they stop being afraid, they rediscover their compassion.
William Wilberforce: So the people have their compassion back.
Barbara Spooner: And you still have passion! That matters more!
バーバラの台詞にbeingが連続して出てきます。まず、 “the war in France is being won” の方のbeingは現在分詞ですね。《be + being + 過去分詞》で受動態の進行形、直訳すれば「フランスでの戦争は勝ち取られつつある」、つまり「フランスでの戦争は勝利を目前にしている」という意味です。
2番目の “And when they stop being afraid” のbeingは動名詞。《stop + 動名詞》で「~することをやめる」でしたね。「そして彼らが心配することをやめたとき」という意味です。
バーバラとのこのやり取りが、ウィルバーフォースを突き動かします。彼は自分を叱咤激励してくれたバーバラと結婚し、ピット首相とも再び口を利く仲になり、フランス革命に対する警戒の必要がさほどでもなくなったといった情勢の変化による奴隷貿易禁止への追い風を受けて、運動を再び開始します。
オーソドックスな仮定法、wishの構文: “I wish I could remember all their names”
そしてウィルバーフォースは、かつて彼にキリスト教の精神を説き、奴隷貿易廃止への気持ちを固めてくれたジョン・ニュートン牧師の教会を訪れます。ニュートン牧師は、年老いて目も見えなくなっており、回想録を口述筆記させています。このニュートン牧師こそ、『アメイジング・グレイス』という賛美歌の詩を書いた人です。
ジョン・ニュートンはかつて、奴隷貿易で財を成した商人でした。黒人に対する家畜以下の扱いを当然のことと思って単に仕事をしてきた人物です。劣悪な環境の船に何百人も詰め込んで、重い鉄の手かせ・足かせを科してきた彼が転機を迎えたのは22歳のとき。嵐に遭遇して転覆しそうになった船が、奇跡的に難を逃れるということがあったのです。このとき以来、彼は「私のようなどうしようもない者をも救ってくださった神」に心から感謝し、紆余曲折はありながらもやがて宗教家となりました。この映画では、ニュートンに関しては史実に相当脚色を加えているので、この映画が語っていることをそのまま史実と受け取ってはなりませんが、映画の中では、清貧な生活を送る牧師として接していた子供たちの一人がウィリアム・ウィルバーフォースで、牧師は自らの手で物として扱ってきた奴隷たちのことが頭を離れず、「2万人の亡霊とともにある」と少年ウィリアムに語っていました。ウィリアムはそれを忘れることができず、長じて奴隷貿易の非人道性(当時はまだ「人道」の概念は通じなかったにせよ)を真剣に考えるようになったのです。
映画の中で失意から立ち直ったウィルバーフォースが彼の元を訪れたとき、ニュートン牧師が口述筆記させていたのは自叙伝でした。アフリカで拉致してきた人々に対し、船の上で自分がいかにひどい扱いをしてきたか、どのような港を利用したかといった証拠を記録として残しておこうと考えたのです。牧師はウィルバーフォースに言います。
This is my confession. You must use it. Names, ships’ records, ports, people — everything I remember is in here. Although my memories are fading, I remember two things very clearly. I’m a great sinner and the Christ is a great savior. You must publish it. …
I wish I could remember all their names, of my twenty thousand ghosts. They all had names. Beautiful, African names. We would call them with just grunts, noises. We were apes, they were human.
“I wish I could …” は、だれもが高校で習う基本的な構文です。「(実際にはそうではないが)…できたらいいのになあ」という気持ちを表すため、 “I could …” の部分で仮定法が用いられます。ニュートン牧師は自身の過去を振り返り、自分の手でひどい目にあわされた人々について「あの人たちの名前を全部、思い出すことができればいいのに、と思う。美しい、アフリカの名前を」とウィルバーフォースに語りかけるのです。実際には若き日のニュートンたち奴隷商人は、これらの人々の名前を呼ぶことなどせず、単に「おい」とか「こら」とか、あるいは「チッ」という舌打ちのような音を立てて呼んでいたのでしょう。
そのことを、改悛した晩年のニュートンは、「私たちがサル(類人猿)で、あの人たちが人間だったのだ」と言い表しています。
まとめ
『アメイジング・グレイス』はたっぷりとした分量のある映画なので、上に取り上げた3ヶ所の他にも聞き所はありますが、コラムの分量としてはそろそろ限界です。あとは各自で聞いてみてください。
単に「聞いてみてください」と言われても困るかと思いますが、映画の中の印象的な台詞や名場面については、IMDb (Internet Movie Database) で各作品ごとに “Quotes” としてまとめられていますので、それを参照してもらえると、よい手がかりになるのではと思います。『アメイジング・グレイス』のQuotesのページは下記です。
https://www.imdb.com/title/tt0454776/quotes
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